【 story1 】 小児 子どもの貧困の狭間で①
野口和美(写真右)
看護師暦27年
新卒で病棟勤務から救急外来
その後、のざと診療所で6年目
17歳のK君がお姉さんに連れられて「のざと診療所」を訪れたのは、
少し肌寒くなり始めた11月初旬のことでした。
生まれつきのてんかん発作とぜんそくに加え、家庭環境が複雑な様子。
話を聞くと、鹿児島で一緒に暮らしていた母のもとを飛び出し、
姉を頼って大阪に出てきたといいます。
奈良にいる父親は頼ることはできないということでした。
のざと診療所の看護師は6つの科の全てをローテーションで回っています。
午前と午後で担当が変わったりします。
分刻みのあわただしい毎日でも、
気になる患者さんを追いかけるには、情報共有が宝です。
〈 僕の先生は前背戸先生 〉
K君は、予約通りに受診することは滅多にありませんでした。
てんかん発作の薬を処方しているので、
受診がないと薬が切れた時の発作が何より心配です。
発作が起こる場所や状況によっては命取りにもなりかねません。
この日連絡を取っていたのは北風看護師です。
何度となく電話をかけ、ようやく連絡が取れたのは
診療を終えた夜中のことでした。
話を聞いたところ、「夜遅くまでバイトをしていて寝坊した」とのこと。
できるだけ早く来るようにとお願いにも近い呼びかけでした。
それから数日たったある日診療時間を過ぎてからひょっこり現れ、
医師を呼び出して薬を処方してもらうということが何度か続きました。
すこし不良っぽい感じを見せながらも、年齢のわりにやや幼く見え、
家族や仕事のことなど何でも話してくれる可愛らしい性格でした。
主治医も彼のことを大変気にかけ、来院すればいつも
時間外でも駆けつけて診療したり話をきいたりします。
彼の方も主治医以外には診てもらおうとせず、
隣接する西淀病院の救急外来を紹介しても絶対に診察を受けようとはしません。
とても厚い信頼関係ができていきました。
〈 「とにかくすぐにおいで」 〉
そんな翌年3月のある日、彼が電話越しにぽつりとつぶやきました。
野口看護師は今も鮮明に覚えています。
「今日はお金が1150円しかないけど診てもらえる?」
私はすぐに、とにかくすぐおいで、お金のことは心配せんでいいから。
と何度も何度も念押ししました。
K君はいつでも前もって必ず電話してきてくれる律儀な一面も持っていました。
来てくれたので詳しく話を聞きました。
姉の家を追い出され、友達の家で寝泊りしていると言います。
一度はホームセンターの正職員になりましたが、
てんかん発作の影響もあり休みがちになってクビになったと言います。
その後不規則なバイトを転々とするうちに
経済的に困ってきたということです。
早速MSW(医療相談員)を交えて話し合いが行なわれました。
幾つかの福祉制度を検討した結果、障害者自立支援法で
てんかん発作の医療費補助を申請することになりました。
しかし、そのためには彼の住民票を大阪に移さなければなりませんが、
母親がそれを拒否したのです。
児童扶養手当てを生活費に充てなければ暮らせないほど、
経済的に追い詰められていることが窺えました。
次回へつづく・・・・